福祉・産業保健の道を歩んできた重山三香子さんに、社会福祉の分野に進むきっかけや、キャリアの変遷をインタビューしました!
職業:精神保健福祉士、産業精神保健分野の専門家。NPOあおぞらの理事。
学歴:上智大学 社会福祉学科卒業。昭和女子大学院生活機構研究科福祉社会研究専攻(福祉社会実践学修士) 修了。
資格:精神保健福祉士、公認心理師
職歴:福祉業界で30年以上のキャリアを持ち、産業保健やメンタルヘルス支援においても豊富な実績を持つ。
偶然から始まった福祉への道と偏見への違和感
社会福祉の道を選んだきっかけはなんですか?
実は、社会福祉の道に進んだのは最初から強い意思があったわけではなかったんです。
私は特に社会福祉を学びたかったわけではなく、大学受験の結果、上智大学の社会福祉学科に進むことになりました。
正直、当時は福祉に関して全く知識がなく、卒業後は普通の企業に勤めようと考えていました。
実際に入学されてどうでしたか?
クラスは50人くらいだったんですけど、同級生のほとんどが福祉を真剣に学びたい人たちだったんですね。
例えば、ご家族に障害当事者がいたり、ご実家が施設を運営されていたり。
学校に入った瞬間、これは合わないなと思って嫌だったんですよ。
その選択がまず1つ、人生の間違いね。
人生の間違いですか(笑)
そう!
学生時代、よく「社会福祉学科って何を勉強しているの?」と友達に聞かれましたが、私自身も同じ疑問を持っていました。
福祉について深く考えたことがなかったため、難しいことはほとんど頭に残らなかったものの、社会福祉とは何かという問いは常に心の中にありました。
福祉にもともと興味がなかったからこそ、逆に客観的に福祉の本質を捉える視点が生まれたんですね。
周囲の人たちは「福祉ってすごいね、偉いね」とよく言ってくれましたが、それは福祉に対するさまざまな先入観や認識に基づいていると感じました。
福祉に携わることについて、ボランティアとして働くだけでは、食べていけないのではないかと心配する人も多かったです。
福祉という言葉が、世の中で多くの偏見や固定観念を持たれていることを感じました。
あのときは、国家資格もなかったので、卒業したらそのまま福祉とは関係ない人材派遣の会社に就職しました。
ハローワークの福祉の紹介窓口経由で、福祉の道をスタート
今では社会福祉に携わる専門家・支援者として活躍されていますが、どのような経緯で福祉の道に進むことになったのでしょうか?
それは、「NPOあおぞら」に入ったのがきっかけです。
私は新卒で働いていた会社を辞めて、出産後に雇用保険をもらうために、ハローワークに行きました。
仕事をするつもりはなかったのですが、池袋のハローワークでは福祉の紹介窓口が設けられていたんです。当時、都内では珍しいことでした。
就職活動をしていないと保険がもらえないため、3か月間はハローワークに通い、面接も受けていました。その時、社会福祉学科を卒業しているなら福祉系の仕事を探してみてはどうかと勧められたんです。
そうして出会ったのが「あおぞら作業所」でした。上の子が生後6か月の頃のことでした。
いつの間にか真剣に就職活動をするようになったんですね。
育児をしていると、孤独感や寂しさが増してきて、仕事がしたいという気持ちが強くなってきました。
その時、福祉の仕事がこれからの私の新しい武器になるかもしれないと思い、福祉の道に戻ることを決意したんです。
福祉を自分の武器にしたくて38歳で精神保健福祉士の資格を取得
福祉の現場に実際に働いてみていかがでしたか?
私は出産後にゼロから再スタートするにあたり、福祉を自分の武器にしなければならないと思いました。
最初は自信がなかったのですが、福祉でしっかりと食べていけるように、勉強を続けていこうと決意しました。
大学を出て新卒で福祉の道に進んだ同級生たちは、すでにかなりのポジションに就いていて、少し焦りもありました。
子供が生まれて、他に選択肢がなく、福祉の道に戻らざるを得なかったという後ろ向きな気持ちもありましたが、「せっかく大学で学んだのだから、それを強みにしよう」と思い直し、勉強を再開しました。
それが、38歳の頃に精神保健福祉士の資格を取ることにつながりました。
職場での事件をきっかけに、メンタルヘルスの仕事を志す
精神保健福祉士の資格を取得してからは、どのようにキャリアを歩まれたのでしょうか?
精神保健福祉士の資格を取得したことで、初めて「この資格をどう活かすか」ということを真剣に考えるようになりました。
それまでは資格を取ることが目的になっていましたが、資格を取ってからは、自分の人生においてこの資格をどう使うかを考えるようになりました。
その結果、メンタルヘルスに興味を持ち、産業精神保健分野で働きたいと思うようになりました。
資格の取得は、それがゴールではなく、重山さんにとって次のステップへのスタートになったのですね。
どうしてメンタルヘルスに興味をもったのですか?
そうですね、38歳で精神保健福祉士の資格を取得した後、私はしばらく精神障害の分野から離れていました。
30代は転勤の夫に伴い、地方での仕事も経験しました。ケアマネージャーの資格も取得していたのですが、ケアマネの仕事はパートタイムでできるので、子育てと両立しやすく、片手間に仕事をしていました。
その後、ある会社に勤め、ケアマネ業務の一環で、ヘルパーさんの研修や講習を担当する研修部門にも携わりました。研修部門では、各事業所を回って審査や書類指導など、人材育成的な仕事も多く担当していました。その時点では、まだメンタルヘルスには出会っていなかったので、介護の仕事も良いものだと思っていたのですが、転機が訪れました。
どんな転機だったのですか?
20年ほど前、介護事業所が急激に増えた時期に、その会社でも労働環境の厳しさが問題になり、ある職員の自死事案が発生しました。私はその時、人材育成と研修部門に所属していたため、全ての技術研修やヘルパー研修を中止し、親会社から派遣されたメンタルヘルスの専門家による研修を実施することになりました。
その講義がきっかけで、私はメンタルヘルスの分野に進むことを決意しました。
私は研修担当者としてスケジュールの管理を行い、全社員が短期間でメンタルヘルスの研修を受けるよう手配をし、その際、初めてメンタルヘルスの研修を受講し、その内容に衝撃を受けました。
特にうつ病や自殺対策について話を聞いたとき、「これこそ精神保健福祉士の私が取り組むべき仕事だ」と強く感じました。それ以外の選択肢は考えられないほどの衝撃でした。
厚生労働省でメンタルヘルスの仕事に携わる
職場での事件がメンタルヘルスに関心を持つ原体験となったのですね。
その後、メンタルヘルスの相談員の募集に応募し、採用されたのが厚生労働省でした。本当にありがたいことだと思いました。それまでは、前任者の保健師さんがその業務を担当していたのですが、メンタルヘルス対策が強化されることを機に、その役割を引き継ぐことになったのです。
ここで初めて本格的にメンタルヘルスの仕事に携わることができました。
ただ、厚生労働省という大きな組織に入ったことで、国家公務員に対するメンタルヘルスの支援という特有の立場にも直面しました。その一方で、国家公務員の方々からの相談は、絶対に外に漏らすことができないという強い守秘義務がありました。相談内容はすべて墓場まで持っていく覚悟で、辞める時にも決して外部には話さないと心に決めました。公務員の仕事には非常に大きな責任が伴うと実感しました。
その経験を通じて、職場環境やストレスについて理解することができました。そうした知識をもとに、今もストレスチェック制度や環境改善などの業務にも従事しています。
女性特有の考え方や価値観を生かして活躍したい
お子さんも育てながら、福祉・産業保健の道を切り開いてこられたと思うのですが、日本は女性の活躍が難しいと言われたりもすると思います。これまでのキャリアでご苦労などはありましたか?
女性の活躍というと、男性のように働くことが強調されがちですが、そうではなく、女性特有の考え方や価値観を生かして仕事をすることが重要だと感じます。男性的な働き方を求められるだけでは、本来の意味での「女性活躍」とは言えませんよね。
女性は結婚や出産の有無によって共通の話題が失われがちですが、女性特有の健康というテーマに立ち戻ると、どの年代の女性にも共通する課題が見えてきます。
例えば、20代や30代の働きざかり世代の健康問題、40代の更年期、そして50代以後の健康管理などです。
こうした女性の健康課題を中心にすると、結婚しているかどうかや子どもがいるかどうかに関係なく、悩みを女性同士が共通の言語で話せることが分かりました。
60歳を迎える今、新たな挑戦と自分らしさを追求する
最後に、これからの目標や夢を教えてください。
実は今年で60歳になります。
ゆくゆくは、「引退」というゴールを考えていますが、これからは収入に縛られずに、自分が本当にやりたいことを整理して取り組んでいきたいと思っています。
私のこれまでの人生は、自分で選択して進んできた道ですが、周りからは無謀だと思われることも多かったです。
例えば、50歳で厚労省を辞めたときは、もし60歳まで勤めていても、定年で辞めた瞬間に何もできなくなってしまうのではないかと思い、早めに退職を決意しました。
その後の10年間は、自分のやりたいことに専念で、コロナ禍には、社会人として大学院にも通いました。
ここまで自ら計画していたビジョンは達成できたと思いますが、60歳から先についてはあまり考えていなかったので、今少し悩んでいるところです。
これからは仕事以外のことにも挑戦してみたいと考えています。
すごいチャレンジ精神と行動力です・・・!
私がよく言われるのは、「普通の人生を送っている」ように見えるということです。
女性としては26歳で結婚し、29歳で出産と子育て、38歳で資格を取得し、60歳を迎えるまで働き続けてきたという点で、確かに多くの人からは「普通だね」と言われます。
しかし、「普通」という言葉が必ずしも楽な道だったというわけではなく、さまざまな悩みや苦労もありました。
私の人生が「普通」であるからこそ、逆に普通ではないことに挑戦できたのかもしれません。
また、時にはこれまで築いてきたものを手放す恐怖もありましたが、そうしないと新しい世界は見えてこないと感じています。
例えば、収入が下がることは確かに悩みますが、結局はお金には代えられない貴重な経験が得られたと実感しています。
今持っているものを手放すのを恐れないからこそ、新たな場所にいけるということですね。
これまでのキャリアの貴重なお話、ありがとうございました!