自殺を踏みとどまった人の物語・体験談に自殺の抑止効果があるという仮説をパパゲーノ効果と言います。科学的な検証は不充分であると批判されるパパゲーノ効果について、語源や提唱された論文、現在の研究動向や日本でのパパゲーノ効果に関連する活動を紹介します。
パパゲーノ効果とは?
パパゲーノ効果とは、自殺をふみとどまった人の物語が自殺を抑止する効果があるかもしれないという仮説のことです。
パパゲーノ効果の語源:オペラ「魔笛」
パパゲーノという言葉は「魔笛」というオペラに出てくる登場人物の名前に由来します。
物語の中でパパゲーノは最愛の人を失った悲しみから自殺を考えます。しかし最終的には生きる道を選びます。このストーリーがパパゲーノ効果の語源です。
そのため、パパゲーノについて調べると、オペラ「魔笛」に関連する書籍や情報が出てきます。
パパゲーノ効果の起源:2010年の自殺研究
パパゲーノ効果という言葉が初めて使われたのは、2010年に発表された1本のメディアと自殺予防に関する論文です。
ウィーン大学のThomas Niederkrotenthaler氏らが「Role of media reports in completed and prevented suicide:Werther v. Papageno effects」という論文でパパゲーノ効果を提唱しました。
ウェルテル効果とは?
パパゲーノ効果とは反対に、著名人の自殺報道がその後の自殺者数を増やすという「ウェルテル効果」というものもあります。
ウェルテル効果は主人公が最後に自殺してしまうゲーテの『若きウェルテルの悩み』という小説に由来します。出版後に主人公と同じ方法で自殺する若者が急増しています。
社会学者のフィリップスが1974年に新聞の自殺報道と自殺率を分析して、自殺が増える現象に「ウェルテル効果」と名付けています。
2020年には『Association between suicide reporting in the media and suicide: systematic review and meta-analysis』という論文で、自殺報道と自殺の関係性について分析した世界中の20件の論文を再解析し、著名人の自殺報道後1〜2か月に自殺で亡くなる人の数が13%増加していたことを報告しています。
ウェルテル効果については多くの論文が発表されていますが、パパゲーノ効果についての論文はまだ数が非常に少ないです。
パパゲーノ効果に関する4つの論文
自殺予防とメディア報道の役割:ウェルテル対パパゲーノ効果(2010年)
パパゲーノ効果が提唱されたウィーン大学のThomas Niederkrotenthaler氏らによる論文です。 2005年1月1日から6月30日の間にオーストリアで発行された497の自殺関連の記事を分類してコーディングし、その後の自殺率と比較しました。
Role of media reports in completed and prevented suicide: Werther v. Papageno effects
Werther効果とPapageno効果: 自殺予防におけるマスメディアの功罪について(2012年)
精神科医の齊尾武郎さんによってウェルテル効果とパパゲーノ効果についての概論と、パパゲーノ効果を提唱したNiederkrotenthalerの革新性について触れられています。
Niederkrotenthalerらは自殺報道を使って、自殺を減少させられないか(報道による自殺率の“増加の割合を減らす”のではなく、自殺率を減少させることを目指す)と考えたのであり、それまでの自殺報道への取り組みに革命的な視座をもたらしたのである。 (出所:Werther効果とPapageno効果: 自殺予防におけるマスメディアの功罪について) |
自殺予防とメディア : ウェルテル効果とパパゲーノ効果(2015年)
災害精神医学、自殺予防学が専門で日本自殺予防学会理事の筑波大学災害・地域精神医学教授の太刀川弘和さんがパパゲーノ効果に関する論考を「精神科治療学」で公開しています。パパゲーノ効果についての研究動向と批判を述べた上で、精神障害や自殺に関するスティグマ(偏見・差別)の解消という観点でもパパゲーノ効果を捉えるべきと主張しています。
自殺念慮と助けを求める態度と意図に対する希望と回復のメディア記事の影響:系統的レビューとメタ分析(2022年)
2022年2月1日にウィーン大学のThomas Niederkrotenthaler氏らによるパパゲーノ効果に関する複数のランダム化比較試験をメタ分析した論文「Effects of media stories of hope and recovery on suicidal ideation and help-seeking attitudes and intentions: systematic review and meta-analysis」が発表されています。
自殺の危機からの希望と回復に関する物語を伝えるメディアが、わずかに自殺念慮を弱めているようだと報告されています。
パパゲーノ効果に対する批判
パパゲーノ効果については過度な期待をするべきではないとする批判も多くあります。
2010年に提唱されてから、まだ発展途上の理論であり、検証も不十分のため専門家によって意見が分かれています。
同じ映画を見ても人によって感想が異なるのと同じで、パパゲーノ効果も、ウェルテル効果も、受ける影響の個人差が非常に大きいです。そのため、一概に「このようなコンテンツであれば自殺予防に効果的だ」と証明することは困難です。
例えば、和光大学教授で『自殺学入門』などの著者である末木新さんが下記の記事でパパゲーノ効果の理論的発展が脆弱であることを指摘しています。
パパゲーノ効果に関する誤解と過剰期待に注意ー適切な自殺報道に向けて理解すべきこと|自殺予防マガジン『JOIN』|note
自殺に関連するコンテンツ制作のガイドライン
自殺についての情報発信をする上で、それがネガティブな影響(ウェルテル効果)を与えるのか、ポジティブな影響(パパゲーノ効果)を与えるのかは一概に判断できないのが現在の科学の限界です。
ただし、これまでの研究でわかっていることを元に、WHOの自殺報道ガイドラインや、自殺関連の映像作品を作るガイドは作成されています。
WHOの自殺報道ガイドライン
自殺についてWHOが「自殺対策を推進するためにメディア関係者に知ってもらいたい基礎知識」を公開しています。
主に新聞やテレビなどマスメディアに向けた著名人の自殺報道をする上でのガイドラインです。
やるべきこと
- どこに支援を求めるかについて正しい情報を提供すること
- 自殺と自殺対策についての正しい情報を、自殺についての迷信を拡散しないようにしながら、人々への啓発を行うこと
- 日常生活のストレス要因または自殺念慮への対処法や支援を受ける方法について報道をすること
- 有名人の自殺を報道する際には、特に注意すること
- 自殺により遺された家族や友人にインタビューをする時は、慎重を期すること
- メディア関係者自身が、自殺による影響を受ける可能性があることを認識すること
やるべきではないこと
- 自殺の報道記事を目立つように配置しないこと。また報道を過度に繰り返さないこと
- 自殺をセンセーショナルに表現する言葉、よくある普通のこととみなす言葉を使わないこと
- 自殺を前向きな問題解決策の一つであるかのように紹介しないこと
- 自殺に用いた手段について明確に表現しないこと
- 自殺が発生した現場や場所の詳細を伝えないこと
- センセーショナルな見出しを使わないこと
- 写真、ビデオ映像、デジタルメディアへのリンクなどは用いないこと
自殺対策を推進するためにメディア関係者に知ってもらいたい基礎知識
自殺の映像作品を分析する「MoVIES」
自殺関連の映像を分析するガイドとして以下の論文があります。
日本語版に翻訳された記事を高橋あすみさんが以下の記事で紹介しています。
自殺の映像を分析する”MoVIES”|Asumi Takahashi|note
映写形式の評価
- 自殺シーンは主人公に関係する
- そのキャラクターは愛着のある姿、モデルを表している
- そのシーンの30%以上で自殺が示されている
- 自殺シーンの継続時間が1分を超える
- その自殺は急速なショットの連続で表されている
- 自殺シーンの複数のショットが、別のシーンのショットを挟んでいる
- 自殺シーンはスマッシュカットで紹介され、唐突さと意外性を示唆している
- 自殺シーンで、自殺または死体の露骨な表現がある
- 自殺シーンで、血や目に見える内臓の存在がわかる
- 自殺シーンで、自殺の手段のクローズアップがある
- 円移動またはカメラ範囲の有無
- ローアングルビューの有無
- 一般的なショットの有無
- スローモーションの有無
- シーンのアンバランスな構図
- 対応するシステムの有無
- 「肩越し」のシーケンスの有無
- 横に傾斜したフレームのあるオフセット平面
- カメラの動きの有無
- 自殺シーンにはキアロスクーロ(明暗法)の照明が含まれている
- 自殺シーンは、赤、紫、青のカラーフィルターで照明を示している
- そのシーンの臨場感が良い
- そのキャラクターによって自殺シーンは特に感情移入して演じられた
- 会話や台詞の有無
- 音楽の有無
- 不安の非言語的症状の有無
コンテンツの評価
- その自殺は些細な方法で示されている
- その自殺は単一の原因に関連している
- その行為はそのキャラクター達によって予測されていた可能性があった(※)
- その自殺を防ぐために何かできた可能性があった(※)
- 精神障害への言及(※)
- 台詞の要素がその自殺をセンセーショナルにしたり、正常化、または犯罪化したりする
- その自殺は解決策として表されている
- その自殺に使われた方法について詳細情報が表されている
- 死のタイプ
- 喪に服している人々が表されている(※)
- 支援を受けるためのリソースについて情報が提供されている(※)
- 自殺を防ぐことに寄与したかもしれない介入が描かれている(※)
- 自殺の危険因子または兆候に関する情報が提供されている(※)
- そのキャラクターは自殺念慮を明確に引き起こしてから行動に移している(※)
(※パパゲーノ効果に関連するもので逆転項目)
パパゲーノ効果の日本での動向
パパゲーノ効果に関連する活動は、近年注目度が高まってきています。
ABEMA Prime「自殺未遂者・パパゲーノ効果」
ABEMA Primeにて、2023年3月6日(月)に自殺未遂・パパゲーノ効果の特集がありました。
自殺未遂者の体験だとして、朝倉さんと、かけるんさんの2名が出演しています。
かけるんさんは、株式会社パパゲーノがプロデュースした絵本『飛べない鳥のかけるん』の著者で、ABEMA Primeの中で絵本もご紹介いただいてます。
【自殺未遂】「生きていて良かった」当事者女性の思いは?パパゲーノ効果とは?|アベプラ
NHK「わたしはパパゲーノ~死にたい、でも、生きてる人の物語」
NHKが死にたい気持ちを経験した人の体験談を寄稿するWEBサイトを運営しています。
わたしはパパゲーノ~死にたい、でも、生きてる人の物語~ – NHK
NHK「ももさんと7人のパパゲーノ」
NHKにて2022年8月20日(土)に伊藤沙莉さん主演の「ももさんと7人のパパゲーノ」という特集ドラマが放送されました。
「死にたい」思いを抱えながらも“死ぬ以外”の選択をしている人=パパゲーノとの出会いを通して、自分を肯定していく姿を描いたドラマです。多くの人が「パパゲーノ」という言葉を知り、死にたい気持ちについて考える大きなきっかけとなっています。
伊藤沙莉主演!「死にたい」思いを抱える人々の7日間の物語 特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」 |NHK_PR|NHKオンライン
革新的自殺研究推進プログラム
自殺総合対策大綱に明記された研究事業で厚生労働省と自殺総合対策推進センター(JSSC)が平成29年度に創設した「革新的自殺研究推進プログラム」で令和4年度の委託研究公募テーマの1つに「領域3:自殺報道・インターネット情報の影響と対策のあり方」が含まれており、研究の具体例として「パパゲーノ効果を踏まえた自殺報道や放送、情報発信のあり方」と示されていました。なお、公募は2022年10月11日に終了しています。
令和4年度 革新的自殺研究推進プログラム 委託研究公募 │ 調査・研究等 │ 厚生労働大臣指定法人・一般社団法人 いのち支える自殺対策推進センター
株式会社パパゲーノ「100 Papageno Story」
2022年3月2日に創業した株式会社パパゲーノは、死にたいという気持ちや精神障害を経験した人の語りを題材に絵本、音楽、絵画などコンテンツを制作するプロジェクト「100 Papageno Story」を運営しています。これまでに絵本作品の『飛べない鳥のかけるん』『ドーナツのなやみごと』、音楽作品の『物語はいつか誰かの役に立つ(線香花火)』、『君はキミでいい(サムエル・ソング)』、『05:44(庄司友里)』、絵画作品の『私は私に食べられそうだ。(EMMA)』などをプロデュースしています。
まとめ
パパゲーノ効果とは、自殺を踏みとどまった人の物語や自殺未遂者の体験談を伝えることが、自殺の予防に効果があるかもしれないとする仮説のこと。2010年の論文で提唱されてからまだ発展途上で、メディアが個人に与える影響は個人差が大きいため、過度な期待は禁物です。とはいえ、2022年にはメタ分析の論文も発表され、注目度が高まってきています。
今後も、パパゲーノ効果について実践や検証が進むことを願っております。